江戸時代の中頃、福島潟は内沼周辺まで広がっていて、ここが福島潟開発の最前線だったと考えられています。社殿に納められている1736(元文元)年の石柱(縦13cm×横21cm×高さ90cm)には、「近江(滋賀県)から新発田に移住した沢村太兵衛の孫の六郎兵衛が1730(享保15)年にこの地に田畑を開発した」と刻まれています。県内最大の潟「福島潟」の開発を示す市内最古の資料として、石柱は新潟市の有形文化財に指定されています。
近くには、かつて福島潟の一部だった内沼潟もあり、貴重な自然が残されています。
内沼神社
住所
新潟県新潟市北区内沼甲1142