かつて新崎開拓7人衆の1人で名主の古山家の邸宅でした。木造平屋建ての主屋「日長堂」は宝歴年間(1751~64)の建造といわれています。主屋と続く仏蔵「開山堂」は、19世紀に建てられたもので豪農の仏堂の形を伝えています。邸内には、太古山、千歳園、瑞雲台と呼ばれる名所のほか、1878(明治11)年の明治天皇の北陸巡幸で休憩所となったことにちなんだ碑や江戸期の文人の碑などが多くあります。
かつて新崎開拓7人衆の1人で名主の古山家の邸宅でした。木造平屋建ての主屋「日長堂」は宝歴年間(1751~64)の建造といわれています。主屋と続く仏蔵「開山堂」は、19世紀に建てられたもので豪農の仏堂の形を伝えています。邸内には、太古山、千歳園、瑞雲台と呼ばれる名所のほか、1878(明治11)年の明治天皇の北陸巡幸で休憩所となったことにちなんだ碑や江戸期の文人の碑などが多くあります。
住所
新潟県新潟市北区新崎2丁目4−57