この亡霊搭の建つ道路は、もともと福島潟と黒山潟をわける堤として造られたもので、この堤ができる前には福島潟は1つの大きな潟でした。そのころ、対岸への往来や漁などのために潟端に住む人々は小舟で潟を行き来していましたが、突風が吹くと舟が転覆し水死する人もあったそうです。
この塔は福島潟で水死した人々の供養と水上安全を祈り、1843(天保14)年に龍雲寺の僧によって建てられました。
水死亡霊塔
住所
新潟県新潟市北区前新田乙
この亡霊搭の建つ道路は、もともと福島潟と黒山潟をわける堤として造られたもので、この堤ができる前には福島潟は1つの大きな潟でした。そのころ、対岸への往来や漁などのために潟端に住む人々は小舟で潟を行き来していましたが、突風が吹くと舟が転覆し水死する人もあったそうです。
この塔は福島潟で水死した人々の供養と水上安全を祈り、1843(天保14)年に龍雲寺の僧によって建てられました。
住所
新潟県新潟市北区前新田乙