葛塚地域の水害から守るため、250年くらい前に造られた堤防の跡です。葛塚全体を囲いこんだこの堤防は、庄屋の遠藤七郎左衛門宗寿の指揮のもと村人総出で造りあげたといわれています。村人が力を合わせて、この堤防を補強し続けたため、1857(安政4)年の加治川決壊による水害も防ぐことができたと伝えられています。
新井郷川排水機場の稼働で水害の危険が少なくなったことなどにより、堤防は取り壊され、正尺に一部残っているだけですが、水と戦いながら生活した地域の歴史を伝えています。
中大川土居跡
住所
新潟県新潟市北区葛塚