上越市頸城区にあった茶臼山城の城主 手島景行は、1579(天正7)年、上杉謙信没後に起こった御館の乱で敗れ、島見浜に逃げたといわれています。
景行は、その後栄玄と名を改め、西厳寺の開祖となりました。1590(天正18)年、京都の本願寺から「西厳寺」の寺名を賜り、以来1000軒以上の檀家を持つ名刹となっています。
切尾山神社(浦ノ入)には「宝物であった親鸞真筆の「南無阿弥陀仏」の巻物を泥棒が盗み、岩船の葡萄峠に捨てていったが、夢の知らせにより訪れた栄玄が拾ってきて寺の宝にした」という話が伝わっています。その巻物は、西厳寺に大切に保管されています。
西厳寺
住所
新潟県新潟市北区島見町1973